『支配なき公共性――デリダ・灰・複数性』、梅木達郎
¥2,600
在庫なし、重版未定





『支配なき公共性 ―― デリダ・灰・複数性』
梅木達郎 [著]
- 発 行 洛北出版
- 2005年3月刊行
- 仕 様 四六判・上製・302頁
- 定 価 (本体 2,600円+税)
- ISBN 9784903127019
〈脱構築以後〉の政治的思考とはいかなるものか?
〈存在の複数性〉はどのように思考することができるのか?
デリダ、アーレント、ハイデガー、ジュネ、ドゥギー、セリーヌたちとの対話を通じて〈来たるべき民主主義〉を考察する。
本書より抜粋 「わたしは人を支配したくない、わたしは人に支配されたくない――デリダはいつもそう言っていたように思われる。その最後となってしまったセミネールの数々において、デリダはくりかえし「主権」について、力の支配の問題について論じていた。正義は力の共犯なしにはありえない。だがそのとき、正義は正義でなくなってしまう。デモクラシーは「クラシー」(力/支配)抜きにはなにものでもない。つまり、主権や支配の問題なしに、政治を語ることはできない。
支配の問題を導入せざるをえないのだが、それでもなお、支配を解体したり、それに抵抗する余地を残しておくこと、それが「政治的なもの」をめぐるデリダの言説の根幹にある問題である。だれからも支配されず、だれをも支配しない人びとの共存を、「民衆の支配」のもとにもたらすこと、それが「来るべきデモクラシー」の課題である。ただ、そうしたものはいまだかつて存在したことはなく、「来るべきもの」にとどまっている。
「支配」の問題は日々の実践についてまわる。したがって、人が眠り込んでしまう時にも覚醒していなければならない、これが脱構築の教えである。デリダ亡き後、われわれの眠りを安心して預けておくことができる人はもういない。われわれは、われわれ自身で、休息もなく、夜も眠らずに見張っていなければならない。それをする準備ができているだろうか。これからはわれわれの番なのだ。この責任を引き受けていくためにも、たぐいまれなテクストの読み手としてのデリダの姿をここに喚起してみたい。というのも、デリダはテクスト読解を支配の問題と無縁のものとは見ていなかったからである。」(141-142頁より)
1957―2005年。東北大学大学院文学研究科博士後期課程(フランス語フランス文学専攻)単位取得満期退学,1993年より東北大学大学院国際文化研究科助教授。専門はフランス現代文学・現代思想。主要著作に,『放浪文学論――ジャン・ジュネの余白に』(東北大学出版会),『脱構築と公共性』(松籟社),『セリーヌを読む』(共著,国書刊行会),主要翻訳に,ドゥギー他『崇高とは何か』(法政大学出版局),ミッシェル・ドゥギー『尽き果てることなきものへ』(松籟社),L-F・セリーヌ『ノルマンス』(国書刊行会),ジャック・デリダ『火ここになき灰』(松籟社)などがある。
装幀・組版
洛北出版編集による。

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